伊藤丈雄プロフィール PROFILE
PROFILE 伊藤 丈雄 ITO TAKEO
ひとりミュージカル俳優
山口県下関市生まれ。
埼玉県熊谷市在住。
ICU(国際基督教大学)数学専攻卒業。大学在学中、アメリカUCLAへ2年間交換留学した際に、
ブロードウェイミュージカルと出会い、人生を180度転換。プロへの道を志す。
東京ディズニーランドのパフォーマー、「ライオンキング」
「ジーザス・クライスト・スーパースター」「ハムレット」「異国の丘」等、
劇団四季での俳優、十数年の活動を経て、
2013年4月に株式会社オフィスピースオブドリームを設立。
「ひとりミュージカル」という、独自のジャンルのエンターテイメントを確立する。
2015年5月、クラウドファンディンクでの成功をきっかけに、全国ツアーを開始。
初年度でいきなり年間60カ所以上での公演実績を作り上げ、以来、北海道から四国、九州まで、
のべ300ステージ以上、全国での上演を積み重ねる。
祖父が喜多流の能楽師であったことから、坂本龍馬や織田信長、土方歳三や吉田松陰など、
歴史的人物を主人公とする作品を描くことを得意とし、
「夢を大切に」「自分ならではの志に生きる」という、魂からのメッセージを、
エンターテイメントを通して、発信し続けている。
著書『自分を輝かせる「ひとり力」のススメ』(サンマーク出版)
CD「夢のかけら」「幕末の夢」「信長夢物語」
DVD「維新の夢 〜吉田松陰物語〜」「七つの宝地図」
公式YouTubeチャンネル「ひとりミュージカルTV」
メディア掲載:NHK「おはよう日本」、西日本新聞・読売新聞、長崎新聞・京都新聞・高知新聞・佐賀新聞・滋賀報知新聞、他多数

伊藤丈雄のオリジナル脚本・演出による
「夢と勇気の物語」
低音の圧倒的魅力が生み出す独自のエンターテイメントを通して、
夢と感動のステージ&メッセージを日本全国にお届けしています。

『夢』と『感動』を日本全国へ、
ずっと変わらない、こだわりとは?
私達にとって、「感動」とは、「純粋な想い」
生まれて初めて、生の舞台でブロードウェイミュージカルを観た時の新鮮な感動を、いつまでも持ち続けることです。
舞台を楽しみに観に来てくださる方が本来持っているはずの、
ピュアな心を、毎回取り戻して差し上げること。
私達にとって、「夢」とは、「誰もが持っている、無限の可能性」を、いつまでも信じ抜く心。
舞台に触れてくださった、すべての縁する方々の心を元気にして差し上げること。
「もしかしたら自分にも出来るかも」「やっぱりもう一度やってみよう」そんな気持ちになっていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
私達が生涯を掛けて貫いていきたい、大切なビジョンとは、「『夢』と『感動』の素晴らしさを伝え続け、縁する人々の心を笑顔にしていく」こんなことを大切に、これまでずっと活動してきました。
そしてこれからもずっと、大切にしていきます。
どんな場所でも、あっという間に、
夢と感動のステージに
スピーカー、アンプ、ミキサーと、本格的な音響PA機材、パーライト、スポットライト、ムービンクなど、舞台を色鮮やかに輝かせる舞台照明、プロジェクター、スクリーン、ビデオミキサーなど、舞台を異次元なものへと仕上げてくれる映像演出機材、これらすべてを持ち込み、どんな場所でも、あっという間に、ミュージカルの舞台ステージへと、早変わりさせていきます。
公共のホールや劇場はもちろんのこと小さなレストラン、カフェ、会議室からバレエスタジオ、お寺の本堂、古民家、
さらには、大きなホテルの宴会スペース、全校生徒向けの学校の体育館まで、
劇団四季や東宝、ホリプロなどの大型ミュージカルではなかなか届けていけないようなところにこそ、これまで、数百か所以上、ありとあらゆる空間をエンターテイメントの会場に作り替え、生の舞台ならではの、迫力あるパフォーマンスを、届けてきました!!
ミュージカル講演会、ミュージカル研修とは?
2015年からスタートした全国ツアーは、北海道から、四国、九州まで、初年度でいきなり60公演を達成。
それ以来5年間で、様々なミュージカル作品を通して、300ステージ以上の上演実績を積み重ねてきました。
坂本龍馬、織田信長、土方歳三など、歴史上の人物にスポットを当てた、観ると元気になる物語。
特に「吉田松陰」のミュージカルは、まさにハマり役で、空前の大ヒット。
行く先々で上演する度に大好評で、是非とも一度は観ていただきたい、必見のミュージカル。
吉田松陰の作品は、エンターテイメントの上演だけにとどまらず、ミュージカルと講演会を合わせた「ミュージカル講演会」やミュージカルと社内研修を組み合わせた「ミュージカル研修」としても、相性抜群で、口コミも徐々に広がってきています。
無駄なことは、何ひとつない
実は高校生の時に、父親の死をきっかけに登校拒否。それがきっかけとなり、学生時代は人とまともなコミュニケーションが全く取れないような目立たない存在でした。大学ではミュージカルと全く無縁の!? 数学を専攻。祖父が能楽師ではありましたが、芸術とは真逆の生き方をしていました。
そんな中、人生を大きく変えたのは、アメリカへ交換留学をしていた時に観た、ブロードウェイミュージカル。
無謀にも20歳を過ぎてから、プロのミュージカル俳優を目指しました。
正直、最初の十数年は、かなり苦労をしました。
しかし、その苦労をした事も、今となっては良い思い出です。
無駄なことは何ひとつない、何も持たず、どん底から這い上がってきた経験は逆に、作品を通して皆様へ元気を持って帰っていただくアドバンテージとなっています。